映画の舞台は、富士山の北西に広がる「青木が原樹海」。
アメリカ人のアーサーは、絶望感や喪失感、罪悪感にうちひしがれ、
人生を終わらせるために樹海にやってきました。
アーサーは、まさに死のうとしていたとき、
傷ついた身体を引きずりながら、森の出口を求めて彷徨う日本人タクミに出会います。
「ここから出れない。助けてくれ」と懇願され、
アーサーはタクミを放っておくことができず、一緒に出口を探して歩き始めます。
アーサーの浮気がきっかけで、妻は酒に逃避するようになり、事あるごとにアーサー
を責め立てました。
さらに、転職して収入が激減したアーサーと、高収入の妻との間に生じた経済的な格差が、夫婦の溝を深めていました。
自分の努力ではどうにもならない状況にアーサーは苛立ち、苦悩する日々を送っていました。
そんな折、妻の病気が発覚。アーサーは献身的に妻を支え、夫婦の関係に新たな希望
の光が見え始めました。
ところが、妻が突然、交通事故で亡くなります。
アーサーは、妻の死に大きなショックを受け、絶望感に襲われます。
一緒にいたのに、口を開けばお互いを責めるだけで、妻のことを何も知らずに生きて
きてしまったことへの後悔。
自分自身を許せなくて、生きていても意味がないと感じていました。
アーサーはタクミに、妻のことを深い悔恨とともに語り始めます。
「絶望してここに来たんじゃない。悲しみでもない。罪の意識で来た。僕たちは相手
への接し方を間違っていた」
その後、タクミが「彼女のタマシイはいつも側にいる、闇の中でも、永遠に」
と言ったのを機に、アーサーは堰を切ったように泣き、謝り続けます。
「許してくれ、悪いのはオレ」
最初はタクミに謝っていたのが、いつの間にか奥さんに謝っているようでした。
そして、「生きてもいいんだ」「生きたい」という思いが芽生えてきます。
アーサー役を演じたマコノヒーは、
「これは人生を肯定するドラマ、大勢の人に人生を見直すきっかけを与えるはずだ」
と語っています。
僕は、この映画を見て、
人は語ることで、心の苦しみから解放される。
語ることが、こんなに大きな変化をもたらすんだ、
ということを感じました。